行事

修正会 しゅしょうえ 1月1日~3日

正月に国家の平和や安全、五穀豊穣、仏法の興隆を祈って修される法要を修正会といい、元旦から3日間、本堂室中で一山僧侶が大般若経600巻の転読を行います。

火鈴様 12月31日

大晦日の夜9時、雲版の乱打を合図に、住職代理の一僧が鈴を振り、般若心経を繰り返し唱えながら、一晩中松島の海岸地区を歩きます。
火鈴様を迎える家は軒に提灯をつるし、机に灯明をともし、茶碗に梅湯または酒を入れて玄関に置きます。行者はその前で心経3巻を唱えたあと、箸で茶碗の中をかき回し、飲んだ振りをして次の家へと回ります。
この地域では、火鈴様の姿を見ると目がつぶれ、また、火鈴の音を聞かずに年を越すと五臓腸が腐れると禁忌されております。
家々では明かりを消して静かに待ち、火鈴様の残した梅湯や酒を分けて飲み、1年の災厄を払います。

藩祖忌 6月24日

藩祖・政宗公と、殉死(追腹ともいう)した側近及び陪臣20名、正室陽徳院の毎歳忌。6月24日に行われます。
寛永13年(1636)5月24日の朝、政宗公は70歳で波瀾万丈の生涯を閉じました。法諡は瑞巌寺殿貞山禅利大居士。政宗公の死が伝えられた幕府は、7日間、江戸での歌舞音曲を停止せしめました。この特別措置は「官位封国ともならびなき名望の宿将」と世に評され戦国の生き残りであった政宗公家光をして「政宗は天下の副将軍」と言わしめた、戦国生き残りに対する家光公の、心からの弔慰でありました。 正室・陽徳院田村氏は承応2年(1653)1月24日に亡くなりました。世寿86歳の高齢でした。奇しくも夫・政宗公と同じ命日となっております。法諡は陽徳院殿栄庵寿昌尼大姉。

開山忌 9月8日

臨済宗円福寺開山法身禅師、瑞巌寺中興雲居希膺禅師、同再中興洞水東初禅師の毎歳忌。現在まで続く臨済宗寺院としての基礎を築いて下さった雲居希膺禅師の功績に報いるため、雲居希膺禅師の命日である9月8日に行われます。
政宗公が死を迎えるころ、瑞巌寺住持は空席でした。政宗公は修行中の若者・洞水東初禅師に目をつけたのですが、洞水東初禅師は若年の故をもって断わり、替わりに雲居希膺禅師を推薦しました。