瑞巌寺の前身である臨済宗円福寺の開山・法身性西禅師は、常陸国真壁(現茨城県筑西市)の出身と伝わっています。従僕として領主に仕えていましたが故あって出家、のち、中国・宋に渡り径山の無準師範禅師に参じ、その法を嗣ぎました。帰国後、松島で更に修行を重ねる中、執権・北条時頼公と邂逅。要請によって円福寺の初代住職に就任し、臨済禅の法灯を掲げられました。以来、現在に到るまで、瑞巌寺は禅宗寺院としての歴史を紡ぎ続けています。
「無学文盲」「一丁字を識らず」と世に評された法身禅師ですが、無住道暁禅師は『沙石集』の中で、「(法身)上人の仏法の心を得し、文字によらず。偏に志のふかきにあり」と書き残しており、同時代を生きた僧の中でも特筆すべき禅僧であったことが伺えます。
本年は正当の750年諱にあたることから、特別展を開催して事績を顕彰する運びとなりました。本展覧会では、悠久の時を超えて語り継がれる法身禅師の足跡と、当地における禅の源流となった中世円福寺に関する史料をご紹介いたします。
願わくは、先人が守り続けてきた法身禅師のこころに思いを馳せていただき、禅に関心を持つ一助となれば幸甚に存じます。
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円福寺開山 法身性西禅師 | ||||
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作品名称 | 筆者等 | 数量 | 時代 | 所蔵 |
法身性西像 | 摩呢多主米 | 1躯 | 承応3年(1654)頃 | 瑞巌寺 |
法身性西位牌 | 実堂宗中揮毫 | 1基 | 天正8年(1580) | 瑞巌寺 |
法身性西位牌(パネル) | 1基 | 禪興寺 | ||
法身性西像 | 筆者不明 | 1幅 | 室町時代 | 瑞巌寺 |
法身和尚像(パネル) | 1躯 | 応仁2年(1468)墨書 | 法蓮寺 | |
無準師範像(パネル) | 筆者不明・自賛 | 1幅 | 嘉熙2年(1238) | 東福寺 |
北条時頼坐像(パネル) | 1躯 | 鎌倉時代 | 建長寺 | |
大銀南木(パネル) | 1本 | 鎌倉時代 | 個人所有 | |
袈裟掛けの松(パネル) | 1本 | 幕末(19世紀半ば) | 法蓮寺 | |
道無和尚像(パネル) | 1躯 | 室町時代(15世紀後半) | 法蓮寺 | |
龍山三開祖伝 | 夢庵如幻撰・象外慧休筆写 | 1冊 | 原本:元禄9年(1696) | 瑞巌寺 |
桂月全集 別巻 | 大町桂月 | 1冊 | 昭和4年(1929) | 瑞巌寺 |
沙石集 巻10 | 無住道暁 | 1冊 | 貞享3年(1686) | 瑞巌寺 |
奥州名所図会(パネル) | 大場雄渕 | 1冊 | 文政12年(1829)以前 | 宮城県図書館 |
松島諸勝記 | 夢庵如幻撰・象外慧休筆写 | 1冊 | 原本:享保元年(1716) | 瑞巌寺 |
法身塚(パネル) | 1基 | 法蓮寺 | ||
中世・円福寺 | ||||
作品名称 | 筆者等 | 数量 | 時代 | 所蔵 |
蘭渓道隆像 | 筆写不明 | 1幅 | 室町時代 | 瑞巌寺 |
明極總愚像 | 筆写不明 | 1幅 | 室町時代 | 瑞巌寺 |
廉渓秀夫像(複製) | 筆写不明・自賛 | 1幅 | 原本:室町時代 | 瑞巌寺 |
大覚禅師霊鏡像 | 不明 | 1幅 | 室町時代 | 瑞巌寺 |
覚満禅師墓碑拓影 | 1幅 | 瑞巌寺 | ||
雑掌景顗言上状案 | 1幅 | 観応元年(1350) | 瑞巌寺 | |
円福寺寺領証状注文 | 1幅 | 応永4年(1397)頃 | 瑞巌寺 | |
留守政景所役免除状 | 留守政景 | 1幅 | 天正6年(1578) | 瑞巌寺 |
北条政子舎利寄進状 | 北条政子 | 1幅 | 鎌倉時代(12~13世紀) | 瑞巌寺 |
釈迦説法図 | 筆写不明 | 1幅 | 室町時代 | 瑞巌寺 |
仏涅槃図 | 筆写不明 | 1幅 | 室町時代 | 瑞巌寺 |
頼賢碑拓影 | 1幅 | 瑞巌寺 | ||
天台由緒記 | 1巻 | 文明2年(1470)奥書 | 瑞巌寺 | |
能面 | 5面 | 室町時代 | 瑞巌寺 | |
金毛払子 | 伝・法身将来 | 1振 | 伝・鎌倉時代(13世紀) | 瑞巌寺 |
多宝塔 | 伝・法身将来 | 1基 | 伝・鎌倉時代(13世紀) | 瑞巌寺 |
松島山歴代住持名籍 | 陽岩宗純 | 1冊 | 慶長4年(1599) | 瑞巌寺 |
水晶五輪仏舎利塔 | 北条政子寄進 | 1基 | 鎌倉時代(12~13世紀) | 瑞巌寺 |
奥州松島山円福寺舎利伝記 | 高岳守源 | 1巻 | 貞治5年(1366) | 瑞巌寺 |
発掘された円福寺 | ||||
作品名称 | 筆者等 | 数量 | 時代 | 所蔵 |
瓦(鬼瓦・軒平瓦・軒丸瓦) | 7点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
舶載陶磁器(白磁・青磁碗等) | 複数点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
板碑・五輪塔・宝筐印搭 | 5点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
土製法要具(花瓶・燭台等) | 複数点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
形代 | 複数点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
飲食具・調理具(箸・折敷等) | 複数点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
装身具(下駄・櫛・笄) | 複数点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
漆器 | 複数点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
笹塔婆 | 複数点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 | |
硯 | 複数点 | 鎌倉~室町時代 | 瑞巌寺 |
法身性西(1189~1273)は常陸国真壁(現茨城県筑西市)の出身。俗名・平四郎。壮年の出家で、中国に渡り無準師範に参じ印可を受く。帰国後、松島で北条時頼と邂逅し、瑞巌寺の前身・円福寺の開山に迎えられた。無学文盲の高僧として知られる。
蘭渓道隆(1213~78)は中国・涪州(現四川省)出身。俗姓・冉氏。無準師範に参じた後、無明慧性に参じ、その法を嗣ぐ。北条時頼の要請で来日し、鎌倉に建長寺を開き、宋朝純粋禅を標榜した。諡号の大覚禅師は日本最初の禅師号。法身の後、円福寺2世となり、以後、大覚派の法灯が続く。