仏教は今から約2,500年前、釈尊によって開かれた教えで、様々な宗派があります。瑞巌寺は現在、臨済宗妙心寺派に属しており、いわゆる禅宗と呼ばれる宗派です。
禅宗は特定の本尊と経典を持たないことが特徴で、その教えは、心から心へと直接伝えられるものであるとする「以心伝心」により、脈々と受け嗣がれてきました。師匠から弟子へと法が伝えられるので、考え方だけでなく、絵や字まで何もかもそっくりな師弟関係もあれば、全く似ていない師弟関係もあり、兄弟弟子でもそれぞれに違いがあります。
令和6年(2024)は、瑞巌寺128世・五雲軒・加藤隆芳老師33回忌、その法を嗣がれた同129世・素雲軒・平野宗浄老師23回忌にあたります。五雲軒老師の代に旧宝物館が造営され、素雲軒老師の代に新館が建設されており、瑞巌寺が所蔵する文化財の保存修復及び資料公開という面からも、二師の功績は計り知れません。この度、年忌に該当する二師の業績や宗風を顧みるとともに、祖師方の法の流れや師弟関係に焦点を当てた企画展を開催する運びとなりました。
師が弟子を導くための手段として揮毫された墨跡や絵画を、お時間の許す限りゆっくりとご覧いただき、先人達の足跡に学ぶ機縁となれば幸いに存じます。
① インドから中国へ | ||||
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作品名称 | 筆者等 | 数量 | 時代 | 師弟関係 |
墨跡「拈華微咲」 | 華翁宗浄筆 | 1幅 | 平成時代 | 釈尊 → 摩訶迦葉 |
『無門関』 | 貝葉書院刊 | 1冊 | 編:13世紀前半 | 摩訶迦葉 → 阿難 |
阿難尊者立像 | 1体 | 不明 | ||
半身達磨図自画賛 「一花開五葉云々」 |
盤龍禅礎筆 | 1幅 | 昭和10年(1935) | 達磨 → 五家七宗 |
神秀・慧能偈 | 雲居希膺筆 | 1幅 | 江戸時代 | 五祖弘忍 → 六祖慧能 |
『百丈清規』乾 | 版元不明 | 1冊 | 編:8世紀後半 | 百丈懐海 → 黄檗希運 |
臨済栽松図画賛 | 弌景筆 雲居希膺賛 |
1幅 | 江戸時代 | 黄檗希運 → 臨済義玄 |
② 日本への伝播と瑞巌寺 | ||||
作品名称 | 筆者等 | 数量 | 時代 | 師弟関係 |
五條橋下 大燈国師図 |
無識庵邦彦筆 | 1幅 | 昭和7年(1932) | 大応国師 → 大燈国師 |
関山慧玄像 | 筆者不明 洞水東初賛 |
1幅 | 江戸時代 | 大燈国師 → 関山慧玄 |
宗派図 | 雲居希膺筆 | 1幅 | 江戸時代 | 一宙東黙 → 雲居希膺 |
洞水東初宛書簡 | 雲居希膺筆 | 1幅 | 正保2年(1645) | 雲居希膺 → 洞水東初 |
宗派図 | 南明東湖筆 | 1幅 | 江戸時代 | 雲居希膺 → 南明東湖 |
金泥偈頌入炭斗 | 松浦鎮信作 雲居希膺筆 |
1口 | 江戸時代 | |
大慈院殿 拈香法語 |
洞水・鵬雲・夢庵作 鵬雲・夢庵筆 |
1冊 | 江戸時代 | 洞水 → 鵬雲 → 夢庵 |
夢庵如幻像 | 石髄甫韶筆 夢庵如幻賛 |
1幅 | 享保6年(1721) | 夢庵如幻 → 石髄甫韶 |
墨跡二字「麟趾」 | 滴水宜牧筆 | 1幅 | 明治時代 | 儀山善来 → 滴水宜牧 |
墨跡二行書 「大道無門云々」 |
山岡鉄舟筆 | 1幅 | 明治13年(1880) | 滴水宜牧 → 山岡鉄舟 |
虎渓三笑図 | 精拙元浄筆 | 1幅 | 大正~ 昭和時代 |
龍淵元碩 → 精拙元浄 |
『江湖風月』 「松に烏図」 |
精拙元浄筆 | 1冊 | 明治~ 昭和時代 |
龍淵元碩 → 精拙元浄 |
円相賛 「坐看白雲多」 |
牧翁巍宗筆 | 1幅 | 昭和時代 | 精拙元浄 → 牧翁巍宗 |
③ 加藤老師と平野老師 | ||||
作品名称 | 筆者等 | 数量 | 時代 | 師弟関係 |
隆芳全昭像 | 筆者不明 大成道彦賛 |
1幅 | 平成26年(2014) | 牧翁巍宗 → 隆芳全昭 |
華翁宗浄像 | 筆者不明 大成道彦賛 |
1幅 | 平成26年(2014) | 隆芳全昭 → 華翁宗浄 |
墨跡「涅槃堂」 | 隆芳全昭筆 | 1面 | 昭和時代 | |
印可状 | 隆芳全昭筆 | 2幅 | 昭和43年(1968) | 隆芳全昭 → 華翁宗浄 |
五雲軒歴住開堂 香語 |
隆芳全昭作 一鏡宗楽筆 |
1冊 | 昭和51年(1976) | |
素雲軒晋山式 | 1冊 | 平成4年(1992) | 隆芳全昭 → 華翁宗浄 |
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五雲軒小祥忌香語 | 精耕祖英筆 | 1幅 | 平成5年(1993) | 牧翁巍宗 → 精耕祖英 |
干支色紙 「辰」「巳」 |
隆芳全昭筆 | 2点 | 昭和51~52年 (1976~77) |
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印章・印章箪笥 | 隆芳全昭所用 | |||
風炉先屏風 「日々是好日」 |
華翁宗浄 | 1双 | 平成9年(1997) |
禅宗の起源を表す語で、一般的には「拈華微笑」と書かれる。釈尊が聴衆に向けて無言で華を拈ると、摩訶迦葉一人だけが微笑み、それをもって法が伝授されたという話に基づく。
松の苗をくくりつけた棒と鋤を持つ臨済義玄の図。山奥で松を植えている臨済に、師の黄檗希運がその意味を問うた話にちなむ。
禅宗の初祖・達磨から雲居の師・一宙東黙まで連なる法脈を記した図。一宙の法を嗣いだ証(印可証明)として書いたものと考えられる。
麟趾とは公族が栄える様や、立派な後嗣のこと。滴水は明治期に活躍した禅僧で、その弟子達から現在まで続いている法の流れは「滴水下」と呼ばれている。
加藤隆芳老師の頂相(肖像画)。京都・天龍寺にて「滴水下」の法を嗣ぎ、昭和34年(1959)瑞巌寺入寺。以後、瑞巌寺住職は現在に至るまでその法系を繋いでいる。