現在「日本三景の一」と評される松島は、目に見える極楽浄土ともいうべき景観から、古来より聖地・霊場として知られてきました。
その中心となる雄島は、平安時代に鳥羽院から高徳を讃えられた見仏上人が修行した場所で、
島内には頼賢碑(国重要文化財)はじめ、故人の冥福や自身の極楽往生を願う人々の残した骨塔、板碑など、
霊地としての面影がいたるところに見受けられます。
松島の歴史は人々の祈りとともにありました。
仙台藩祖・伊達政宗公も祈願した五大堂の秘仏・五大明王像(国重要文化財)は千年以上もの長きに渡って信仰の対象となり続けています。
また、女性たちが観音講や念仏講で守り伝えてきた小さなお堂や仏像も、
日々の安寧を願うささやかな信仰の場として、今も地域に根差しています。
本年は未曾有の被害をもたらした東日本大震災から十年をむかえますが、未だ二千五百名以上の方が行方不明のままです。
人知を越えた災厄がある日突然降りかかり、何気ない日常が一瞬にして失われてしまう事を今も忘れることはできません。
そして現在は新型コロナウイルスが一日も早く終息する事を願うばかりです。
この展覧会では、平安時代から現代まで、様々な厄災を乗り越えてきた人々の祈りのかたちをご紹介いたします。
そして東日本大震災の犠牲者の方々の鎮魂と被災地の復興をご祈念申し上げたいと思います。
展示期間:2021年8月1日(日)~9月12日(日)
※出品を記念して、展示期間中、限定御朱印帳並びに限定御朱印を頒布いたします。
展示期間:会期中を通して
墨画 連作「蓮」5枚の内
仙台在住の墨画家・一関恵美氏が令和2年に発表し、以来、多くの場所で好評を得た「連作 蓮」。
この度の展覧会の趣旨にご賛同いただき、出品協力が実現しました。
蓮の花言葉は「清らかな心」
それを示すかのように 泥水を吸い上げながら真っ直ぐに上を向き
私なりに美しい花を咲かせ
今を生きる象徴の花 現世と来世を繋ぐ神聖なる花「蓮」
宮城県北部の伊豆沼の蓮池取材から構想5年
祈りの中 墨を磨り描いた大作(一関恵美氏より)
作品名称 | 筆者名 | 数量 | 時代、他 |
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聖観世音菩薩像 | 1躰 | 伝 鎌倉時代 | |
不動明王像(8月1日から展示) | 1躰 | 平安時代 国重文 | |
扁額「三聖堂」拓影 | 原字 鵬雲東搏 | 1幅 | 原額 天和3(1683) |
天神像 | 1躰 | 江戸時代 | |
三聖堂奉納品 絵馬・奉納経 他 | |||
観音講・念仏講中用具 | |||
雲居希膺像 | 藤孝卜 叔堂宗甫賛 | 1幅 | 寛政8(1796) |
阿弥陀三尊像 | 別道崇通賛 | 1幅 | 江戸時代 |
六字名号 | 他阿上人尊如 | 1幅 | 江戸時代 |
弥陀名号 | 雲居希膺 | 1幅 | 江戸時代 |
阿弥陀聖衆来迎図 | 1幅 | ||
阿弥陀三尊来迎図 | 1幅 | ||
阿弥陀三尊板碑 | 1基 | 室町時代 | |
結衆名号碑拓影 | 1幅 | 原碑 寛文13(1673) | |
地蔵大菩薩碑裏拓影 | 1幅 | 原碑 文政2(1819) | |
法身性西像胎内納入品 | 天麟院 他 | 承応3(1654) | |
往生要歌版木 | 5枚 | 江戸時代 | |
往生要歌写本 | 1冊 | ||
水晶製五輪塔舎利容器・舎利1粒 | 北条政子寄進 | 1基 | 鎌倉時代 |
奥州松島円福寺舎利伝記 | 高岳守原 | 1巻 | 貞治5(1366) |
「讃華」屏風 | 武田秀雄 | 1双 | 平成26(2014)寄贈 |
一行書「共に生きる」 | 金澤翔子 | 1隻 | 平成30(2018)寄贈 |
板碑 | 5基 | 鎌倉~室町時代 |
本堂に安置される開山木像は、伊達政宗公正室・陽徳院愛姫が亡くなった翌年に、その菩提成就を祈願して当山中興開山・雲居禅師の発願によって制作されたと考えられる。
平成11(1999)年に行われた木像の解体修理の際、像内から紙縒(こより)で括られた一群の包みが発見された。 陽徳院とその愛娘・天麟院五郎八姫の身辺に仕えた百人以上の人々が、毛髪・爪・経本・数珠など様々なものを納入し、陽徳院の冥福と自身の極楽往生を願った作善行であった。
天麟院の納入品は自筆の写経や毛髪・金銅懸仏・名香「柴舟」等。 多くの包紙に記されていたのはほとんどが女性名で、開山像に結縁(けちえん)して、現世・来世の安寧(あんねい)を願って包みを作ったであろう
当時の様子が偲ばれる。
月輪中に蓮台を伴う阿弥陀如来をあらわす種子キリークが刻まれた、智性禅門の百ヶ日を弔う板碑である。
本来百ヶ日の主尊は観音菩薩(サク)だが、あえて阿弥陀如来を刻んだのは智性禅門が生前阿弥陀仏を信仰していたか、雄島に祀られた阿弥陀三尊を意識したためであろう。 雄島周辺の海底から発見された。
東日本大震災後、漫画家・画家として高く評価される武田秀雄氏が仙台市で個展を開いた際、被災地である気仙沼市から松島町までを車で回り、震災の被害と復興の遅れを目の当たりにした。
この絵は被災した桜の古木から着想し、朽ちた桜の木肌に白やピンク色の花を描いて生命の息吹を表現し、震災の犠牲者の鎮魂と復興を願って当寺に奉納された屏風である。
平成30年5月19日、奈良東大寺と鎌倉鶴岡八幡宮の主催により、「東日本大震災物故者慰霊と被災地復興への祈り」として、瑞巌寺本堂で法要が執り行われた。
その奉納行事として、室中(孔雀の間)において、書家・金澤翔子氏による席上揮毫が行われ、被災者に寄り添う思いで「共に生きる」と力強く大字を揮毫していただいた。後日主催者側から屏風に仕立てて奉納された。
政宗公正室・陽徳院から「悟りへの捷径(ちかみち)」を問われた当山99世雲居禅師は、「往生要歌」と題し、道歌百八首をもって簡易な内容で示した。 陽徳院は侍女達と共に要歌を唱え、踊りながら修行したとされている。その後庶民にも普及し、江戸時代に四度、板刻・出版された。
松島では盆踊りとなり、その様子は「奥州名所図会」に描かれている。盂蘭盆の折、雲居念仏を唱え踊りながら、道中で喜捨をうけた米麦を「親族不離の亡霊に供養」し、雄島に納めたと伝える。
現在は、雲居念仏を伝えてきた松島の講中もなくなり、 地元でも知る人はほとんどいない。 この音源は最後の継承者である西澤氏により、 昭和57年瑞巌寺本堂で披露されたものである。