企画展「近代の画家シリーズ①」

得楼・鉄園兄弟展
~仙台藩画員・佐久間家の正統~

会期 令和3年2月28日~6月10日(予定) ※6月30日(水)まで延長となります

得楼・鉄園の兄弟は仙台藩最後の画員の一人・佐久間晴嶽を父にもち、祖父は同じく仙台藩画員であり仙台四大画家の一人・菊田伊洲である。
画員になるべくして生まれた得楼・鉄園兄弟だが、時は江戸時代が終わり、新しい流れへと向かう変革の時代を迎えていた。
当山の羅漢の間障壁画は兄・得楼(1841~1890)の代表作であり、弟・鉄園(1850~1921)の作品もまた多く納められている。仙台藩の絵画制作の重要な立場にいた画員・佐久間家の正統として、新しい時代の郷土の画壇を彩った得楼・鉄園兄弟の作品を瑞巌寺の収蔵品から紹介していく。
昨年春から続くコロナ禍の時代、疫病除けの鍾馗像、安寧を祈る観音像も展示致します。一日も早い終息を祈っております。

展示作品リスト

作品名称 筆者名 数量 時代
伊達黄門政宗公像 佐久間 得楼 一面 明治15(1882)
観音図 菊田 伊洲 一幅
波上観音図 佐久間 得楼 一幅
濯足清泉図 佐久間 鉄園 一幅 明治44(1911)
諸葛孔明図 佐久間 晴嶽 一幅
鍾馗図 佐久間 晴嶽 一幅
貞姿勁賢図(墨梅図) 佐久間 晴嶽 一幅
禮温月夜邂逅旧主図 佐久間 得楼 一幅
図書「松島案内」 岡 濯・著
佐久間 得楼・画
一冊 明治21(1888)初版 松華堂
楼閣山水図 佐久間 得楼 一幅 明治20(1887)
梅に小禽 佐久間 得楼 一幅
萬年神喜図 佐久間 得楼 一幅
七福神舟遊図 佐久間 得楼 一幅
蝦蟇仙人図 佐久間 鉄園 一幅
図書「鉄園畫談」 佐久間 鉄園 一冊 明治40(1907)発行
鍾馗図 佐久間 鉄園 一幅
郭子儀図 佐久間 鉄園 一幅
蜀桟道図 佐久間 鉄園 一幅 明治25(1892)
蕭何月夜追韓信 佐久間 鉄園 一幅 明治18(1885)
亀上観音図 佐久間 鉄園 一幅 明治43(1910)
十六阿羅漢図 佐久間 鉄園 一幅 大正6(1917)
蕉下布袋図 佐久間 鉄園 一幅
芦雁図屏風 佐久間 得楼 六曲一双
本堂羅漢の間パネル 佐久間 得楼
呉道子作観音像パネル(参考)

主な展示作品

伊達黄門政宗公像【西洋技法で政宗公】 明治15(1882)/佐久間得楼筆

この作品は当館蔵の伊達政宗の木造甲冑像の上半身を楕円形に写生しエッチングの手法による作品。
「黄門」は中納言の唐名。「佐久間徳鐵筆」は徳郎の誤りか。細やかな陰影表現により、表情が際立つ。得楼四十二歳の筆。
左下方には「明治十五年四月御届 同年四月出版/■■人 宮城縣平民 佐久間徳郎 陸前國仙台/袋町十三番地」と小さく印字されている。
「袋町」とは仙台市青葉区柳町西端と片平丁の間の町にあった職人屋敷の町名のこと。
白鷗楼文庫(大宮司雅之輔コレクション)

伊達政宗甲冑像 佐久間得楼原画

波上観音図【海の安全を祈る】 佐久間得楼筆

芦をそよがす風に起こされた黒い波頭に乗る姿として描かれた白衣を纏った観音。
画面上方では燕が飛び交っている。足下の荒々しさとは対象的に穏やかな表情の観音。
波間に立つ観音は波乗観音ともいわれる。波乗観音は海辺の寺院に多く見られ、航海の無事を祈ったものか。
画面左の落款は墨書きでなく金泥で「徳郎方洗手拝寫(写)」とあり、改まった敬虔な態度が窺える。
白鷗楼文庫(大宮司雅之輔コレクション)

波上観音図 佐久間得楼筆

亀上観音図【亀仙人いや亀観音、海を渡る】 明治43(1910)/佐久間鉄園筆

左右の手に水瓶と柳の一枝を持つ観音樣が亀の背に立っている。また亀が墓誌の台座となっているものを亀趺という。
実は贔屓(ひき)という龍の子供。背に甲羅を持ち亀に似た容姿をしているが、亀と違って龍の子らしく頭に角がある。仏教が伝わる中で霊亀と贔屓が混同されたようだ。
本図がどちらであるかは未詳だが、この作品はイタリア万国博覧会に「渡海観音」として出品され、鉄園没後(大正10年)に夫人より当山へ寄贈されたものである。

亀上観音図 佐久間鉄園筆

鍾馗図 【疫・病・退・散!②】 佐久間鉄園筆

鍾馗は主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。中国・唐時代の皇帝・玄宗の夢に出て、魔を祓い病を癒したという。そこから疫病を退け、魔除けの効験があると信じられ、日本でも人気のある題材。
長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て右手に剣を持ち、眼を大きく開き何かを睨む姿は、鍾馗の通例の表現である。
父・晴嶽の鍾馗図と異なり、衣が揺らめき猛然と立ち向かう覇気を感じさせる作品となっている。
白鷗楼文庫(大宮司雅之輔コレクション)

鍾馗図 佐久間鉄園筆