行事

修正会 しゅしょうえ 1月1日~3日

正月の元旦より3日間、新年に際して旧年の行いを改め、国家の安寧・玉体の長寿と健康・人々が平穏であること・五穀豊穣・仏法の興隆等を祈念するとともに、自己の修行の成就を誓う法要です。
本堂の室中(孔雀の間)で一山僧侶が大般若経600巻の転読を行います。

涅槃会 ねはんえ 2月15日

お釈迦様が入滅したとされる2月15日に営まれる法要で、入滅の様子を描いた「涅槃図」を荘厳して執り行われます。
涅槃図は、お釈迦様の深い慈悲への感謝から作られたもので、あらゆる生き物が泣き悲しむ様子が描かれています。
お釈迦様遺徳を偲び、その教えが世界中に広まって、全ての生き物がその悟りに近づくことが出来るようにと祈るお勤めです。

降誕会 こうたんえ 4月8日

お釈迦様が誕生したとされる4月8日に営まれる法要で、一般的には「花まつり」とも呼ばれます。
色とりどりの花で飾られた花御堂に誕生仏を安置し、甘茶を注いでお釈迦様の誕生をお祝いします。
甘茶を注ぐ理由は、お釈迦様の誕生を祝った龍王が、天から甘露を注いで産湯を使わせたという伝承によるものです。
法要後は、参拝者の皆さまも甘茶を注いでお参りしていただけます。

藩祖忌 はんそき 6月24日

仙台藩祖・伊達政宗公と、政宗公に殉死した家臣及び陪臣20名、政宗公正室・陽徳院田村氏愛姫さまの毎歳忌法要です。
寛永13年(1636)5月24日、政宗公は70歳で波瀾万丈の生涯を閉じました。
政宗公の死が伝えられた幕府は7日間、江戸での歌舞音曲を停止させています。
この特別措置は、「官位封国ともならびなき名望の宿将」(『徳川実紀』)と世に評され、戦国の生き残りであった政宗公に対する、将軍徳川家光公の心からの弔意でありました。
瑞巌寺殿貞山禅利大居士と諡されています。
愛姫さまは承応2年(1653)1月24日、政宗公と同じ月命日に亡くなられました。
『伊達治家記録』に「貞山公(政宗公)の御忌日に終りたまいたき由御願あり…」と記されており、政宗公と命日を合わせたいという気持ちがあったことがわかります。
陽徳院殿栄庵寿昌尼大姉と諡されています。

忠宗公忌 義山公忌 ぎざんこうき 7月11日

仙台藩2代藩主・伊達忠宗公と、忠宗公に殉死した家臣及び陪臣16名の毎歳忌法要です。
政宗公亡き後、藩を継いだ忠宗公は内政に力を注いで基盤を固め、仙台城下の繁栄を築きました。
政宗公霊屋・瑞鳳殿とその香華院・瑞鳳寺の造営や東照宮の勧請を行なっており、寺社仏閣に対する帰依も非常に厚く、瑞巌寺99世雲居希膺禅師、同100世洞水東初禅師らを信任して教え・戒めをよく守り、「守成の名君」と称えられています。
万治元年(1658)7月12日、60歳で薨去し、大慈院殿義山崇仁大居士と諡されました。

盂蘭盆会総供養 うらぼんえそうくよう 8月12日

「盂蘭盆」は、サンスクリット語のウランバナ〈ullambana〉の音に漢字を当てはめた言葉で、「逆さ吊り」という意味があります。
典拠とされる『仏説盂蘭盆経』によれば、お釈迦様の弟子である目蓮尊者が餓鬼道に落ちて苦しむ亡母を救うため、修行僧たちに飲食などを供養したという因縁に由来するものです。
現在は祖先崇拝の行事や民間の習俗と融合し、多くの亡者供養が合わせて行われるようになりました。
瑞巌寺では本堂に施餓鬼棚を荘厳して、ご先祖様の御霊の供養と、初めてお盆を迎える御霊の新亡供養を執り行います。

大施餓鬼会 おせがきえ 8月16日

施餓鬼会とは、飢えと渇きに苦しむ餓鬼達に飲食を施し、お経を唱えることによって、故人やご先祖様の冥福を祈る法要です。
瑞巌寺の大施餓鬼会は、110世曹源祖水禅師に由来します。
ある年のお盆のこと、曹源禅師の弟子の曇英性薫禅師が一人で大きな提灯を作り、そこに亡くなった方の法名を書いて、流れ灌頂に見たてて供養したといいます。
弟子の善行に感動した曹源禅師は、次の年から瑞巌寺の一山の僧侶を率いて読経し、灯籠を流してお勤めをしました。
現在は門前の海岸に櫓と棚を設置して供養のための経木塔婆の焚き上げを行い、法縁の僧約50名によって法要が営まれています。
約250年の歴史を有する伝統行事です。

五大堂例祭 ごだいどうれいさい 8月20日

五大堂は慈覚大師手彫りと伝える五大明王像を安置するお堂で、現在の建物は慶長9年(1604)、伊達政宗公が造営したものです。
五大明王像は長い間秘仏とされてきましたが、享保16年(1731)、仙台藩5代藩主・伊達吉村公の命により開帳が行われました。
『奥州名所図会』には「500年来の拝観であった」と記されています。
現在は33年に一度開帳され、次回は2039年の予定です。
祭礼日は8月20日で、五大堂奉賛会により運営されています。

真山地蔵例祭 まやまじぞうれいさい 8月24日

真山地蔵堂は解脱院の別称で、松島在住の医師・真山玄川が造営したといわれるお堂です。
慶長9年(1604)、松島に遊んだ政宗公は、このお堂が一人の医師の善行によってなされたものであることに感銘を覚え、円福寺復興を志すきっかけになったとも伝わっています。
祭礼日は地蔵菩薩の縁日である8月24日で、講中の有志により運営されています。

開山忌 かいさんき 9月8日

仏法を伝えるために最初に寺院を開いた僧を「開山」といいます。
瑞巌寺では、臨済宗円福寺開山法身性西禅師、瑞巌寺中興開山雲居希膺禅師、瑞巌寺再中興開山洞水東初禅師を「三代開山」と位置付けて讃仰しています。
法身禅師は常陸国真壁郡(現茨城県桜川市)の出身で、宋に渡り無準師範禅師の法を嗣ぎ、帰国後円福寺の開山となりました。
雲居禅師は伊予国上三谷(現愛媛県伊予市)の出身で、蟠桃院一宙東黙禅師の法を嗣ぎ、政宗公・忠宗公に招かれて瑞巌寺99世・中興開山となりました。
洞水禅師は日向国飫肥(現宮崎県日南市)の出身で、雲居禅師の法を嗣いで瑞巌寺100世となり、再中興開山と位置付けられました。
その中でも特に、現在まで続く臨済宗寺院としての基礎を築いた雲居禅師の功績に報いるため、禅師の命日にあたる9月8日に法要を執り行なっています。

三聖堂例祭 さんせいどうれいさい 9月25日

三聖堂は聖観世音菩薩像、達磨大師像、菅原道真像(天神像)を安置するお堂で、天和2年(1682)、瑞巌寺101世鵬雲東搏禅師によって建立されました。
奥州33観音霊場の6番札所として古来より信仰を集めており、現在も講中の有志によって運営されています。
天神様の縁日が25日であることに由来して、9月25日に法要が執り行われます。

達磨忌 だるまき 10月5日

インドから中国に禅を伝え、「禅宗の初祖」と称される達磨大師の命日に営まれる法要です。
達磨大師は没後、片方の履だけを手に持ってインドに帰ったという伝承があり、その故事にならって描かれた「隻履達磨図」を荘厳して、報恩のお勤めを執り行います。

成道会 じょうどうえ 12月8日

お釈迦様は6年間の苦行の後、菩提樹の下で坐禅を組み、8日目となる12月8日、明けの明星をご覧になって悟りを開いたと伝わっています。
この因縁にならって、瑞巌寺専門道場では12月1日から8日の未明まで不眠不休で坐禅をする、「臘八大接心」という年間で最も厳しい修行に取り組みます。
8日朝、臘八を終えた修行僧とともに、悟りを開かれて坐を立たれたお釈迦様の姿を描いた「出山釈迦図」を荘厳して行われる報恩のお勤めです。

除夜の鐘・火鈴様 じょやのかね・こうりんさま 12月31日

大晦日の夜9時、庫裡に掛けられた雲版の乱打を合図に、住職代理の僧侶が「火鈴」という大きな鈴を打ち振って、「般若心経」を繰り返し唱えながら一晩中松島の海岸地区を歩く火伏せの行事です。
火鈴様を迎える家は軒に提灯を吊るし、玄関に机を置き灯明をともし、茶碗に梅湯か酒を入れて、家中の明かりを消して静かに待ちます。
火鈴様はその前で般若心経を唱えた後、副えられた箸で茶碗の中を掻き回し、飲んだふりをして次の家へと移ります。
「姿を覗き見ると目が潰れる」、「火鈴の音を聞かずに年を越すと、五臓腸が腐れる」と禁忌されている火鈴様ですが、火鈴様の飲み残した梅湯や酒を飲むと厄除けになると伝わっているため、諷経が終わった家では梅湯や酒を分けて飲み、一年の災厄を払います。
この行事は、鎌倉時代末期、円福寺6世の空巌慧禅師が法力で中国径山寺の火災を透視し、境内の防火石に水をかけて消火を手伝い、その謝礼として秘蔵の火鈴を径山寺より贈られたことに由来するものです。
火鈴様が戻ると除夜の鐘が打ち上がり、瑞巌寺は新年を迎えます。