催し物

企画展 田中墨外展 -如是観- 平成31年3月1日~4月15日まで

 田中墨外は日本画家の橋本雅邦に師事し、師の開催する二葉会に属していた仏画家です。師が死去した明治41年から仏画制作に専念し、途絶えようとしていた截金仏画の再現を志し、独学で研究をはじめます。截金は金箔や銀箔などを数枚焼き合わせ、細く直線的に切ったものを布海苔や膠などの接着剤を含ませた筆で貼り、文様を表現する技法です。墨外はこの截金の技法を独自に工夫し、作画に取り入れたのです。
 その作品は平安時代の仏画を手本としています。表面上の荘厳さ美麗さだけでなく、仏尊の想いや本質までもが伝わってきます。截金技法はそのことをより一層強く印象づけています。昭和12年6月28日に護国寺月光院で開催された初の個展に際して書かれた、東京美術学校(現東京藝術大学)の校長だった正木直彦氏の文書に次のような一文があります。

『居士の仏画を見ん人はすべからく如是観を為すべし』
[居士(田中墨外)の仏画を見る人は必ずあるままに受け取りなさい]

これは彼の作品を鑑賞する時は余計な事を考えず、個々人が受ける印象を大切にしなさい、という事だと思います。
 田中墨外は観る人の心に強く印象づけられる、すばらしい作品を多く遺されましたが、その名を知る人はほとんどいません。これは氏が売るための絵は描かないという信念を貫いたためです。また生前おこなわれた展覧会は昭和12年6月と7月、同27年の3回のみで他の展覧会に出品しなかったのもその一因です。こうして田中墨外の名は世に埋もれてしまったのです。
 この度、田中墨外の作品を修復保存している截金ソサエティ様とのご縁があり、当館で田中墨外展を開催する運びとなりました。この機会に是非ご来館いただき、そのすばらしい作品を体感して頂きたいと思います。

水月観音菩薩像部分

水月観音菩薩像部分

十三仏図部分

十三仏図部分

悲母観音立像部分

悲母観音立像部分



田中墨外 年譜

1877年 明治10年3月8日
福井県小浜市に生まれる。
1889年 明治22年
兄 文蔵と共に上京
1897年頃 明治30年頃
20歳の頃 橋本雅邦に師事
1903年 明治36年
橋本雅邦主催の日本画団体二葉会に属する
1904年 明治37年 4月
第二回二葉会展覧会に「三傑」出品
1905年 明治38年 5月
第四回二葉会展覧会に「竜頭観音」出品
1905年 明治38年 11月
二葉会秋季研究大会に「王維」出展
1906年 明治39年 3月
第五回二葉会展覧会に「西王母」出品
1908年 明治41年
橋本雅邦 没後 仏画制作に専念。絶滅に瀕していた截金仏画の再現を志しその技法を独自で研究する
1925年 大正14年 4月
母方の前田姓を継ぐ
1936年頃 昭和11年頃
高野山明王院蔵「赤不動(截金)」を模写し本人寄贈
1937年 昭和12年  6月
東京都文京区護国寺月光殿に於いて仏画個展開催
1937年 昭和12年  7月
東京日本橋三越に於いて仏画個展開催
1938年 昭和13年  3月1日
東京都文京区護国寺に「愛染明王(截金)」本人寄贈
1941年頃 昭和16年頃
東京都港区青松寺に「釈迦如来像(截金)」本人寄贈
1943年頃 昭和19年頃
成田山新勝寺に「不動明王像」本人寄贈
1944年 昭和19年
栃木県栃木市冨士見町に疎開
1952年 昭和27年 10月
東京日本橋三越に於いて仏画個展開催
1952年 昭和27年
東京国立博物館に「阿弥陀如来像(截金)」を寄贈し収蔵される
1953年 昭和28年 11月
截金仏画による栃木県文化功労賞受賞
1957年 昭和32年4月19日
東京都武蔵野市吉祥寺の自宅にて死去 享年80歳

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